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メモ速

主に海外サイト翻訳メモ、ネタ長。2ちゃんねる、4channel、はてなブックマーク、YAHOO知恵袋などからネタになりそうなものを集めています

椅子が椅子である理由を考察する

1: 名無しさん@おーぷん 2015/04/13(月)13:11:49 id:NE2
椅子が椅子であるのはなぜなのか?
このあまりにも自明なように思われ、それゆえになんら解答を得ることのできないこの問い
この問いは設問の単純さと反比例するかのように深い闇をその内にはらんでいる
椅子が椅子であることは我々に直観的に与えられその確信はよほどのことがなければ揺らがない。そのため、椅子であることの理由を問うなどと言えばたわけ者扱いされるのが関の山である。しかしながらそうして馬鹿にする人の中に椅子の椅子たることを語れるものが何人いるだろうか?
彼らは言うだろう「語ろうとすること自体がナンセンスだ」
だか、椅子が椅子であるのは椅子だからだ。などというトートロジーを私は決して承服することはできない。
椅子が椅子であるのには、必ずやそうであることの理由があるはずだ
ではその理由は何か?
それをこのスレを通して探っていきたい

 

2: 名無しさん@おーぷん 2015/04/16(木)16:55:20 id:FCO
ういーす

 

3: 名無しさん@おーぷん 2015/04/16(木)19:55:09 id:QWS
椅子の真理に辿りついたとしてそれが何になるのかを問いたい・・

 

5: 名無しさん@おーぷん 2015/04/18(土)00:33:49 id:NB3

>>3
どうなるかは問題ではない
たどり着けるかたどり着けないかが問題なのです

 

6: 名無しさん@おーぷん 2015/04/18(土)15:22:43 id:qA9
>>5
失礼だけど何故辿り着けるかどうかが問題なんですか?

 

4: 名無しさん@おーぷん 2015/04/18(土)00:31:45 id:NB3
まずごく常識的な意見として、機能主義という観点が考えられる
椅子は鈍器などとして使用することも出来るが、本来的には座る、座らせるために作られたものであり、それ以外の使用法は椅子本来の使用目的から外れる
したがって、本来的な使い方として座らせるという機能を有しているものが椅子であるという本来的機能の同一性から椅子を定義することが出来る
このような考えはごく自然であり、かつそれなりの説得力を持つように思われる
しかし、この議論には致命的な欠陥がある
鈍器としての使い方も椅子としての使い方も両方可能である以上、純粋に物自体にその機能性の本質を求めることは出来ない
そのためにその機能群の中から何が本来的な使い方を決めるのは実際の使用者の信念に依存する
つまり、椅子としての本来的な使い方が座らせることにあるとされるのは、使う人間がそのように信念しているその時のみに限られる
このように考えると、使用者の間で椅子に対する信念が異なった場合、何が本来的な使い方かを決めることはできない
よって機能主義的な観点は椅子の本質性を定めることはできないと考えられる

 

7: 名無しさん@おーぷん 2015/05/13(水)17:46:48 id:JVQ
鈍器として使えるかもしれないし、椅子であることと鈍器であることは矛盾しないけど、適性というものはあるんじゃないかな
純粋に鈍器として作られたハンマーと、本来座るための道具として作られた椅子がある
ハンマーの上にも頑張れば座ることが出来るし、椅子だってこれで殴ろうと思えば殴ってモノを打ちこんだり、破壊したりできる
つまり両者はお互い鈍器と椅子の性質両方を兼ね備えていると言える
しかし椅子とハンマーを見せて、どちらが鈍器ですかと問えば、皆ハンマーと言うだろうし、どちらが椅子ですかと問えば椅子と答えると思う
その境界線は、それぞれの適正であると思う
確かに、ハンマーの上に座ろうと思えばできる。椅子として使うことも出来るわけだ
しかし、ハンマーの殴る部分に座れば丸くて安定しないし、柄に座ってもごつごつとして居心地が悪い
高さも合わないし、柄を地面に突き刺して座っても不安定だ
椅子を殴打に使おうにも、どこを持っていいかわかりにくいし、持ったとして先端と重心が離れているので効率的に力が伝わらない
つまり鈍器として取り回しにくい形状をしている
この観点からいうと、鈍器と椅子、双方の性質を兼ね備えた二つの物を隔てる境界線は、その適性にあると言えると思う
それぞれの性質を最も生かす使い方というものがあり、それぞれの道具はそれを成し遂げる為のモノの名前で呼ばれるのだろう
っていうのがただ迷い込んだだけの哲学素人の俺の意見です
皆さん修正してください

 

8: 名無しさん@おーぷん 2015/05/16(土)21:58:58 id:MEj
>>7
可能的である機能(~としても使える使い方)と本質的である機能(適性のある使い方)とを区別し、適性のある機能を本質的な機能とみなす
そして、本質的な機能の名において物の定義は為されるべきである。ということでしょうか

その主張からは次のような問題点を提起できると思います
1.適性の有無。向き不向きを判断する基準をどのように決定するか

2.物自体が有する機能と物の使い方は違うということ(道具自身に意図された本来的な使い方よりも、別な使い方を使いやすく思う人にとってはその道具の本来的な使い方が変わってしまう。
つまり道具の本質である適性が変化してしまう。ある人にとっては椅子であるものが、ある人にとっては机であるといったような。
こうなってしまうともはや機能は本質的ではなくなってしまう。物自体はなにも変わっていないにもかかわらずそのものの在り方が変化してしまうから)

この二つの問題は相互に絡み合っているので一つにまとめて扱うこともできそうですが、端的に問題(と思われる)点を提示するため二つにしました
それから、こんな過疎スレにわざわざ立ち寄ってくださってありがとうございます。人がいなさすぎて正直心が折れかけでした
()が多くて読みづらかったらすいません

 

9: 名無しさん@おーぷん 2015/08/24(月)16:25:20 ID:0A1
なぜ、椅子に固着する?それは机でもよかったはずだ。だが、1は椅子を選んだ。まず、それがなぜなのかを日常の言語で説明してもらいたい。

 

10: 名無しさん@おーぷん 2015/09/27(日)05:21:46 id:eXj
まさにその通りで椅子でも机でも何でもよかったわけです
ではなぜ椅子を選んだのかということですが、これは特筆すべき理由はありません
鬼ごっこをしてる子供たちに「君たちはなぜ鬼ごっこをするのか」と尋ねてもおそらく「鬼ごっこがしたいから」以上の解答が返ってこないのと同じく、私もたまたま道具としての椅子の在り方に疑問を感じたからとしか答えられません
強いてつけ加えれば日常的な環境のどこにでも存在し、例えとして分かりやすいだろうと思ったからということになります

 

11: 名無しさん@おーぷん 2015/10/29(木)12:39:23 id:t0O
アフォーダンス理論でググれ