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知性と感性を融合させるスレ

知性と感性を融合させるスレ

1Madman◆Gyg6BvUrkggn:2012/06/08(金)19:58:52 ID:DGfAIcuPX() ×
お前も地獄の住人になるか?ククク
 :Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/08(金)20:03:31 ID:DGfAIcuPX() ×
地獄は常人ならば神経を焼かれ、発狂する
しかしイカれた人間が行くと力を得られる
3Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/08(金)20:18:20 ID:DGfAIcuPX() ×
クハハハ!
4名無しさん :2012/06/10(日)04:37:56 ID:E2fqakvqe ×
ちかんせい
5Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/10(日)11:27:29 ID:ejTYuXQ4n ×
理性が感性を理解することによって、
その融合体である「智」を生み出し、
右脳と左脳を融合させることができます。
6Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/11(月)05:00:26 ID:fx4Za3iAe ×
何か質問は?
7名無しさん :2012/06/14(木)05:32:26 ID:Z+p5XGhEa ×
地獄の妖精さんはどこにゆけば合えますか
8名無しさん :2012/06/14(木)10:40:39 ID:YsaKx9n+8 ×
そうですねぇ、地獄の妖精ということは、
芥川龍之介 著の「蜘蛛の糸」のように地獄に蜘蛛の糸が一本垂れて来たような感じでしょうか?
地獄とは絶望に陥った人間が落ちる場所なのですから、
絶望を打開する「力」と地獄でめぐり合うことこそ「妖精との出会い」と同義と言えるでしょう。
それとどう出会うかですが、考える力をある程度持っている人がひたすら考え続ければ会えるでしょう
人間は通常絶望したり、或いはそうせざるを得ない場合にしか「考える」という行為に至りません。
地獄で力を得てしまえばすぐに現世に戻ってきてしまうのです。
しかし哲学者は絶対に考えなければならないわけでもないのに関わらず、
ひたすら物事を考えています。
哲学者は通常の人間と違い地獄に居座り続ける存在だと言う事です。
哲学は「数々の妖精との出会い」を生み出します。
なのであなたが哲学をし続けていれば、いつか必ず出会うことができます。
9Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/14(木)10:41:14 ID:YsaKx9n+8 ×
↑はコテを付け忘れました
10名無しさん :2012/06/15(金)14:47:49 ID:Tj8Rufy2H ×
精霊(せいれい)精霊(しょうりょう)と妖精と、精気、精神、魍魎、妖怪
spiritとfairyとelfとgenius、ghost

どういうものをもって妖精なんでしょう?
地獄であればデーモン?地獄に住むという鬼ですか?
11Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/15(金)17:22:56 ID:eUL4+gz6R ×
ごめんなさい
全てでたらめです
12Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/15(金)17:41:51 ID:eUL4+gz6R ×
しかし地獄には妖精のような物は居なくても、
「力」は存在します。
地獄の業火に焼かれながらも、
力を得ようと突き進むか、現世に逃げ延びるか。
それが哲学者と一般人との違いです。

あなたも哲学者のはしくれなら、地獄の住人と言えるでしょう。
13Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/15(金)17:46:48 ID:eUL4+gz6R ×
アインシュタインなどまさにそうだ
科学と哲学を融合、科学側と哲学側を深く理解すれば、
脳を発達させることも可能だ
おそらくある一線を越えると、脳が物理的に結合する
右脳と左脳の融合体 左右脳を作り出すことができる 
それはもう人間の領域を遥かに凌駕した、
神の領域なのだよ

フハハハハハハハ
15Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/15(金)17:53:42 ID:eUL4+gz6R ×
今直感した
言葉の意味合に惑わされて現実が見えていないことに
もっと主観的にならなければならない
偏見に流されていては駄目だ

学校の教育を真面目に受けて洗脳されているのと同じことだ
あんなものはただの洗脳 都合の良いように作られているに過ぎない

学校なぞに俺を作られる筋合いは無い

俺は俺が作る 俺は俺が作った理を信じる
16Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/15(金)22:01:32 ID:eUL4+gz6R ×
インスピレーションが大事だ

インセプションを見ていてそう思った
18名無しさん :2012/06/16(土)04:37:58 ID:Ivz5HPWHG ×
見えないものを見ない奴に「インスピレーションが大事だ」とか
相応しくない。
言葉だけ踊っている。

それは直感であるが論理でも秩序でもない、タダの相性であり
神の啓示でもない。
必要なのは直感を活かす覚悟であって、無いところに何かを生み出す
創造の力でもある。
理解できないものを恐れるからこそ布石を作らない。
未来は自分と共に生み出すものであって設計図のある人工物ではない。
高度な知性は常に形而上に存在し不確で確率的に思える存在である、
そこに生じるのは相性で決まる原理、対称関係が生む関係の自己組織化の
結果にすぎない。
20Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/17(日)13:26:34 ID:jy511OdBq ×
>>18

フゥーーーかっこいいぜ 彫れちまいそうだぜ 兄ちゃん
21名無しさん :2012/06/19(火)16:17:52 ID:Jl0tijyQE ×
高学歴無能君は見えないものを見ない。

何故なら見えないものを見たらオカルトでしょ?という答えが返ってくる。
幽霊が見えるUFOが見える、宇宙人が見える。そういうこと。
だから頭から否定するわけ。

では創造する人にUFOや幽霊が見えてはいけないのだろうか?
過去の文化も文明もない原始人が見たことがない未来の自動車や
飛行機を見たら、それは幽霊やUFOと同じではないだろうか。
つまり見るのは何も問題ないはず、見た幻を現実のものと区別つかない
頭から否定する他者のほうが、区別がついて幻を語るほうより激しく無能である。
具現化させて行く力の元にはそこにある。
23名無しさん :2012/06/19(火)19:25:46 ID:Jl0tijyQE ×
高学歴無能君とは、教科書を信仰して自分では考えない人を言う。
それは知識が全てだと思い現実にある矛盾は考えない論理が全てである
という思考回路によるもの。
物事の捉え方は解釈によっていろいろな側面があるが、彼らの見るものは
自分で確かめた知恵ではなく他人から与えられた知識でしかない。
解釈で本が書かれそれを参考にした本と連鎖する知識の輪ができた状況で
正しいとされれば絶対信仰のように疑わない態度となる。
25Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/19(火)19:45:39 ID:jas6nzu0r ×
今の学校は偏見しか教えない。
小学校の時から偏見を刷り込まれるから、「深く考える力」を持った人間が少なくなる。
浅い理解はできても深い理解はそうできないだろう。
26Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/19(火)19:46:58 ID:jas6nzu0r ×
算数の授業で1+1=2だ!!と教える前に論理学を教えた方が良いと思うね。
小学生には難しいかもしれないが。
27Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/19(火)20:03:37 ID:jas6nzu0r ×
そもそも論理というのは樹形図のような流れで構成していくものだ。
あらゆる可能性を考えていかなければならない。
UFOは居ない!と断定している人間にどうしてだと聞いてもきちんとした説明は得られないだろう。
上記のような事柄を「悪魔の証明」と呼ぶそうだが、悪魔でもなんでもない。
論理的に考えて、至極当然の事である。
29名無しさん :2012/06/21(木)01:43:07 ID:K9olnclhy ×
人が見ているものは全て錯覚である。
その錯覚は完璧に近い故に疑われることはない、
実質的に機能していれば錯覚でもかまわないのである。
30Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/21(木)11:23:59 ID:lIlb3Ic5Q ×
なあ兄さん、
俺にとびっきりの哲学を教えてくれよ

32名無しさん :2012/06/21(木)18:04:54 ID:7qKz+z/8m ×
>>30
形而上を正しく理解すること。

未知の原理や、不明確な事象を形而上と言うなら
それがはるか未来に明確で説明でき証明できる事象になったとき
形而上と呼ばれるかどうかの問題を理解してほしい。
形而上とか形而下から見たときの上位構造にすぎない。
何かを形而上といえば、それを原理とする何かは上位構造からみれば
形而下であり、更なる下位構造からみれば形而上である。
33思考が停止すれば哲学も死ぬ :2012/06/21(木)18:20:00 ID:7qKz+z/8m ×
故に形而上は観測者が定常と思う原理の上に形作る構造にすぎない。
それは観測者によって解釈が常(微妙に)に異なる(一致ではない)。

形而上である類は関係が不明確な面がある故に常にその性質の側面を
状況によって考え直す必要がある。
我々は定常(日常)に慣れすぎてそれが当然のように理解してしまっている
定常など世界の果てまで探せば定常は我々の回りだけだと気が付くだろう。

人が作る意味の範疇は言葉であり論理であり、それによって出来た知識、技術
が全てだと信じすぎている。

哲学が必要とされるのは定常が壊れ直前まで成立してきた意味が崩壊した時である。
普段からその耐性を持たないものは考える力がなく止まるだけである。
哲学は学ぶ物だと教える人が多く、それは誰かが知識として纏めた哲学に
過ぎないわけだ。

とびきりの哲学があると前提する先に生じるのは哲学を「学ぶ」のではなく
哲学を「行う」ことである。哲学を必要としない人に哲学は学ぶもの(無駄知識)
でしかなく「行う」為の前提をまず得ることである。
日本語での表現が哲学に「学」という文字を入れた時点で、すでに日本の哲学は
終わっている。

単純に「考える人」を実践すればいいだけである。
自分が信じられるものに対して、ほんとうにそうだろうか?はたしてそうなの?
という姿勢を常に持つだけでいい。
37迷えば疫病神が憑依する :2012/06/21(木)19:40:34 ID:7qKz+z/8m ×
人生で学ぶことは1つだけ、「覚悟」の実践。
覚悟ができれば、どんな努力や知識や運ですら超える味方になる。
言葉に表し知るのは素晴らしく簡単です。

つまり感情に支配されるからこそ覚悟できない。
感情がもんもんと襲われ前が見えないときは寝るかアルコールなどで
完全に気晴らしし考えないこと。
最初に決めた覚悟はどんな不利益があろうが曲げないこと。

覚悟を貫け。
39人間は感情の生き物 :2012/06/21(木)19:52:26 ID:7qKz+z/8m ×
あと正義を実践すること、

正義とは常に解釈の問題でありイスラム圏とアメリカが対立するように
双方それぞれの正義がある、そして正義は勝負するときに決する。

負けたほうは正義じゃないってことです。
基本は俺正義でなんの間違いもない。自分の利こそ正義です。
だが目の前の欲は自分にとっての正義なのか?
最後に笑うものが正義です。途中は愚考で何の問題もない。
途中の優勢、途中の有能、途中の利益、途中の運、すべて最後の結果ではない。

正義を選ぶものは最後に正義を勝ち取る存在であり、途中など全て犠牲にすること。
それは神の心のような、決して曲がらない「覚悟」がなければ実践できない。

原理本質:極限でヤバイ状況ほど死ね(諦め)ば助かるんですよ。
途中の死は、結果ではない。最後に笑え!いま我慢せずにいつ我慢する?
40Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/21(木)19:58:31 ID:lIlb3Ic5Q ×
素晴らしい!もっとだ!もっとくれ兄さん!
41覚悟すれば? :2012/06/21(木)20:31:56 ID:7qKz+z/8m ×
自分を貫け。揺るがない心は理屈ではない、対象との関係によって生じる
可能性への歩みを呪縛(恐怖)し、誘う(驕り)原理を隠している。

やってみなければ分からないものは、その原理をもって制覇しろ。
乗るか反るかは自分次第だ、自分を制覇するのは難しく他人を制覇しろ
対価を払い他人を調子こいた状態にすれば必ず非合理な面を見せる。
非合理な面を見逃さなければチャンスなどいくらでも作れる。
得た一時的な優勢もチャンスである相手の心を縛り、無意識下に行動を
最も合理的なほうへ誘い縛る。
理解できないことが起こればそれに比例してこの原理は有効になる。
ハッタリは不合理なほど恐れを呼び込み合理的な行動を誘う。
42Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/21(木)20:40:06 ID:lIlb3Ic5Q ×
最後にもう一つだけ。
妄想を打ち払いたい。
どうすればいい?
43名無しさん :2012/06/21(木)20:50:17 ID:7qKz+z/8m ×
>>42
妄想は消すな極めろ。

生じるものは正しい。つまり妄想を活かせ。
酷い妄想が常に生じる状態に慣れろ。それを覚悟しろ。

自分に出来ないことを強請るな。できることを極めろ。活かせ!
44名無しさん :2012/06/21(木)20:54:33 ID:7qKz+z/8m ×
世界が妄想を受け入れないなら、世界を妄想色に染めろ。
開き直れ。

妄想の中すら正しき道がある、自分を騙せ、妄想を受け入れ覚悟できれば
それに対する相性は見えてくる。妄想という状況に流されるな。
妄想をもって道を開けば勝利はそこに待っている。
45名無しさん :2012/06/21(木)20:57:29 ID:7qKz+z/8m ×
たとえ妄想であろうが、自身が進む道を阻む壁は自分自身である。

自分で自分に壁を作るな。
やってみなければ分からない。世界は常に定常ではないし、同じ模様でもない。
46Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/06/21(木)21:15:30 ID:lIlb3Ic5Q ×
兄さん なんだか凄く強い思いが伝わってくるよ・・・
本当にありがとう。とってもいい励ましになったよ。
また哲学教えてくれるとうれしいな。
60答えは明白である、 :2012/07/03(火)03:30:00 ID:4keIhrvRo ×
目先の得を得ていいだろ。なんの問題もない。

砂漠で水がペットボトル数本しかないこの先に補給はない、
汗だくだくで非常に暑いから水浴びしたい、じゃ水浴びするのか、
その水がないとこの先は水を飲めなくなるんだよ?
男なら、水を豪勢に使い切れ、そして一瞬で果てろ。

君の全財産を目先の娯楽に使い切れ、豪遊しろってこと。

61Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/07/03(火)14:53:48 ID:7dtAGaCKn ×
しかしそれだと現在を選んでいることになりませんか?
自分を呪わなければならなくなります
62名無しさん :2012/07/03(火)19:32:35 ID:4keIhrvRo ×
それがお前の宿命なら、従うしかないだろ。
呪いとはお前が宿する環境のことだ。

永遠に続く呪いなどこの世にはほとんど無い極稀なもの

呪いを使い切れば呪いから逃げることは可能だ。

無意識で呪いを自覚しているんだろ?
63Madman◆Gyg6BvUrkggn :2012/07/03(火)20:47:08 ID:7dtAGaCKn ×
のろいを使い切る・・・?
何となくわかるようなわからないような
64名無しさん :2012/07/04(水)00:46:19 ID:XRTja+WHu ×
必然という呪い、流れに流されるものにはそれにそむくことは不可能だ。
流れである潮の変わり目を待つか、流れを誘い乗りこなすしかない。

流れを誘う才が無いなら、全ての物事に終わりがあるように終わりまで
待て。それが滅びるなら従え。流れの乗り換えのチャンスは何度もこない
はじめのそれをためらえば、次ぎはもっと困難になる。

何時かは終わる、それは定めだから従うしかないんだよ。
68名無しさん :2012/07/08(日)07:48:59 ID:MxeDU59DL ×
宿命を受け入れればいいだろ。宿命は人でいるからこそ人を超えられない
そういう器の類だ。

私という考えから抜け出せないかぎり、私以外を捉えることなど非常に
困難であるのは明白である。
地にすがっているかぎり地上から飛び立てない鳥だ。
69懐疑主義者◆E/9nfHuGUg :2012/07/12(木)22:58:50 ID:7ZAVkzy9s ×
>>60
現実的な話になって申し訳ないが、
「完全版・日本語訳米軍サバイバルマニュアル」と言う本によるなら、
"砂漠・乾燥地帯で移動する必要が生じたときは、
夜に移動したほうが水の消費は少ない"そうですよ。
何でも良いので退避できる場所を探すかとかして、
夜まで待ってから動く。
そうするとどこかの町などに辿り着くまで、水は持つ筈ですよ。

70名無しさん :2012/07/28(土)10:38:06 ID:Gx+zO9e0U ×
>>69
1行目がなかったら、糖質っぽい反応になる
 比喩の類に現実と違うから現実を考えろというのは、比喩を
発言するのを根本的に呪縛する。比喩など常に現実離れした矛盾を潜ませている。
 その主観的な思いを否定する応答とあるとするなら、
砂漠といっても、地熱性砂漠、気候的砂漠、高地的砂漠、塩害的砂漠な
など多種多様である。
エチオピアの砂漠は地熱で動物や植物が住めないほど国土の数割が
そういう状態である。だが地下水はほぼないのに地面から水は得られる。
これは結露現象を利用した原住民の知恵である。
塩害的なのものは水があっても塩で汚染されている、井戸も塩水である。
大地は塩の濃度が高いために植物も育たない。町も廃墟がまっているだけ。
高地的なものは標高が数千メートルで植物が育つ限界付近が原因ゆえに
砂漠になっているもの、この場合は川や降雨はあっても植物は育ち難い。
中国内陸部にはそういう地域が普通にある。
 砂漠といえばサハラ砂漠を代表とする赤道に近い高温地帯だけを
想像するのが多い、そして米軍がいう砂漠とは中東の石油産出国の
一般的な砂漠が対象であるはず。そういう例で全てを測るのは少し
根拠に乏しいとは思わないだろうか?
71名無しさん@おーぷん :2014/05/21(水)07:40:42 ID:iFSt6O2cb ×
知性と感性の融合
チカンやな
好きやで、そういの